2020年最高の映画と聞かれたら,このヴァイオレット・エヴァーガーデンを推す.
アニメ映画を見に行ったはずだった.しかし,満席の劇場で見たこのヴァイオレットは映画の域を超えた,『芸術』だ.そして,3度泣いた.
この『芸術』について分かりやすく音楽で例えると,最近,(鬱陶しいくらい)世間が騒いでいる鬼滅の刃(感想記事はこちら)が無料開放された野外フェスで,このヴァイオレット・エヴァーガーデンはドレスコードがあり格式高いオーケストラコンサートといったような感じ.(鬼滅は世間がこんなイナゴにならなければソロのホールライブみたいで楽しかったんだろうが……という世間の騒ぎ方への愚痴は今回気にしないものとする)
私はこのヴァイオレットを公開すぐ見に行った.そして同時に映画館が全席開放してくれた.
両隣が空いている映画は手すりも自由に使えるし,荷物も適当におけるから楽だと思っていたけど,このヴァイオレットを満席の映画館で見た時に人と一緒に『芸術』を共有できることの素晴らしさを再認識した.
なぜ映画を見てから2カ月もたって記事を掲載したかというと,この得られた感動が自分の文章でちゃんと伝わるのか……ということと,ネタバレをしたくなかったから元々書くつもりはなかった.
だが,そろそろネタバレ見たくない人は全員見たころだろうし,『芸術』を鑑賞して得た感動を文章として残したい,誰かに伝えたいと思ったから掲載することにした.
これから注目ポイントと,『芸術』について思うことを書く.
ヴァイオレットを誰彼構わず観ろとは言わない.格式高いオーケストラコンサートは芸術が理解できる人と,理解しようと努力する人が行くべき場所で,冷やかしに行って騒ぐ場所ではないから.
観た人は,この記事で映画で得た感動を思い出して欲しい.そして,まだ観てない人,知らなかった人で興味を持った人は,ぜひ『芸術』鑑賞してほしい.
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あらすじ
――あいしてるってなんですか?
かつて自分に愛を教え、
与えようとしてくれた、大切な人。
会いたくても会えない。
永遠に。
手を離してしまった、大切な大切な人。
代筆業に従事する彼女の名は、〈ヴァイオレット・エヴァーガーデン〉。
幼い頃から兵士として戦い、心を育む機会が与えられなかった彼女は、
大切な上官〈ギルベルト・ブーゲンビリア〉が残した言葉が理解できなかった。
──心から、愛してる。
人々に深い傷を負わせた戦争が終結して数年。
新しい技術の開発によって生活は変わり、人々は前を向いて進んでいこうとしていた。
しかし、ヴァイオレットはどこかでギルベルトが生きていることを信じ、ただ彼を想う日々を過ごす。
──親愛なるギルベルト少佐。また今日も少佐のことを思い出してしまいました。
ヴァイオレットの強い願いは、静かに夜の闇に溶けていく。
ギルベルトの母親の月命日に、
ヴァイオレットは彼の代わりを担うかのように花を手向けていた。
ある日、彼の兄・ディートフリート大佐と鉢合わせる。
ディートフリートは、ギルベルトのことはもう忘れるべきだと訴えるが、
ヴァイオレットはまっすぐ答えるだけだった。「忘れることは、できません」と。
そんな折、ヴァイオレットへ依頼の電話がかかってくる。依頼人はユリスという少年。
一方、郵便社の倉庫で一通の宛先不明の手紙が見つかり……。
登場人物
・ヴァイオレット・エヴァーガーデン CV.石川由依
ギルベルトに告げられた「愛してる」の意味を知るために、人の想いを手紙にする自動手記人形(ドール)の仕事に就いた少女。C.H郵便社で働く以前は、感情を持たない「武器」としてギルベルトが指揮する部隊に所属する兵士だった。代筆を通じてさまざまな感情を知りながら、いまもなおギルベルトへの届かない想いを募らせている。
・ギルベルト・ブーゲンビリア CV.浪川大輔
代々続く軍人一族の次男に生まれ、南北大陸戦争では陸軍少佐として指揮を執る。兄のディートフリートから「武器」としてヴァイオレットを渡され、ともに戦線をくぐり抜けた。彼女に名を与え、教育を施し、「武器」ではなく人として生きるように導こうとした。激しい決戦で行方知れずとなり、未帰還兵となっている。
・クラウディア・ホッジンズ CV.子安武人
C.H郵便社の社長。戦時中はライデンシャフトリヒの陸軍中佐を務めた。ギルベルトとは士官学校時代の友人で、ギルベルトのヴァイオレットに対する愛情を知る数少ない人物。
・ディートフリート・ブーゲンビリア CV.木内秀信
ライデンシャフトリヒの海軍大佐。陸軍一族であるブーゲンビリア家の長男でありながら、厳格な父親に反発し自身は海軍へ入隊。一族の責務を弟のギルベルトに担わせた。
・ユリス CV.水橋かおり
ヴァイオレットに手紙の代筆を依頼した少年。家族や、親友のリュカに対して素直になれない自分をもどかしく思っている。
・リュカ CV.佐藤利奈
ユリスの親友。以前はよく一緒に遊んでいた。密かに訪れては外から様子をうかがい、いつも彼のことを心配している。
・デイジー・マグノリア CV.諸星すみれ
ヴァイオレットが代筆依頼を受けた際に出会ったアン・マグノリアの孫。アンが亡くなった後、大切に保管された古い手紙を見つけ、自動手記人形――ヴァイオレット・エヴァーガーデンの功績を辿る。
スタッフ
原作 | 暁佳奈 |
---|---|
監督 | 石立太一 |
キャラクターデザイン 総作画監督 |
高瀬亜貴子 |
音楽 | Evan Call |
主題歌 | TRUE |
アニメーション制作 | 京都アニメーション |
音楽
主題歌:『WILL』
アーティスト:TRUE
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見どころ・注目ポイント
劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン.この作品で私は3度泣いた.
映画で泣くと言ってもクライマックスの1回くらいだろうと思っていた.それがまさか,3度も……
いつも見どころポイントを3つほど挙げるのだが,見どころポイントが感動ポイントで埋まってしまったw
拙い文章ではあるが,泣くポイントを紹介する.
ユリスの最期
今回の映画は,デイジーがヴァイオレットの足跡を辿るところから物語がスタートした.
そして,その中の物語はヴァイオレットがユリスの手紙を書く物語とヴァイオレットとギルベルトの物語の2つが並行して進んでいく.
そのうちの一つのユリスの物語の最期.これは泣かざるを得なかった.
ユリスからの依頼は自分が死んだ後に家族に向けての手紙を残すことだ.あと,親友のリュカに.
映像・音楽・演技・ストーリーと全てが合わさっての感動であるので,手紙の内容をここに羅列することはしないが,子供が親兄弟に手紙を残すシチュエーションは泣けてしまう.
そして,これを京アニが描いているというのがより泣いてしまう.
ユリスは映画で初登場のキャラだが,病室でも元気な時のシーンと,親や弟にきつく当たってるシーン,そしてヴァイオレットに手紙を依頼して真剣に考えているシーンと色々見てきて,最期の病室のシーンと,色んな表情を見せるからこそ感情移入してしまった.
また,リュカへの電話.
この作品は手紙で想いを伝える・自分の気持ちに気付く物語ではあるが,文明が発達し電話も発明され,遠くの人にも肉声で想いを伝えられるようになってきたことが描かれていた.
ヴァイオレットが立ち会うことができず,リュカへの想いを手紙で伝えられないとなった時に,ユリスの想いをリュカに伝えるためにみんなが頑張って電話を繋げようとしているところと,紡がれる言葉.なんと愛おしいことか.
吠えるホッジンズ
ギルベルトが生きていることが判明し,ヴァイオレットがギルベルトの家の前まで行ったが追い返したところで吠えるホッジンズ.
ホッジンズは戦後からずっとヴァイオレットを見てきて,戦争しか知らない少女がドールとして成長していく過程をずっと見てきた.そして,ギルベルトのことをずっと思い続けたヴァイオレットの姿を.
ここで吠えたホッジンズは,アニメを通してヴァイオレットの成長する姿を見てきた我々の気持ちの代弁だったから,より一層ホッジンズに対して感情移入してしまい,泣けてしまった.
当事者ではなく,一つ外の立場からヴァイオレットとギルベルトを見ているという点が,我々視聴者の視点と重なる.
ついに見つけた「あいしてる」
手紙だけ残し,島から去るヴァイオレットを,追いかけるギルベルト.そして,ヴァイオレットはギルベルトのもとへ.
この時の挿入歌がアニメEDのみちしるべというのがズルい.こんなの泣くしかないじゃないか.
先ほどの吠えるホッジンズもアニメを見てきた視聴者の代弁であったが,このみちしるべはアニメでずっとヴァイオレットの気持ちに触れてきた視聴者を大泣きさせにきている.
ついに愛してるを見つけることができたヴァイオレットに.おめでとうと.そして,この物語をありがとうと.私もこの作品を通して愛してるを見つけることができた.
もはや,『芸術』
私が思うに,『芸術』というのはその作品自体の素晴らしさは当然として,作り手とその背景が見えてくることなんだとこの映画を見て感じた.
ストーリーは素晴らしいし,映像美なんて他作品の10年・20年先を行っている.演技も素晴らしく,音楽も素晴らしい.だが,ここまででは作品としての素晴らしさだ.
作り手とその背景は言わずもがな,京都アニメーションとそこにあった事件だ.
ユリスの最期のところでも書いたが,子供が親兄弟に手紙を残すシーンを京アニが描くことが泣けてくるというところ.
京アニスタッフには若い人が多かった.
そんな若いスタッフたちが突然命を失ってしまった.親よりも先に亡くなってしまった.
こういう背景を知っているからこそ,彼ら・彼女らが創り上げていた作品が,こうして映画として完成し,親に届いたと思うと,より泣けてしまうんだ.
作り手で作品を語るのは作品そのものの評価ができないから駄目だという意見もあるかもしれない.
でも,ここでは「このような背景を持った作り手が描いた作品」を評価しているのであって,「この作り手が描いた作品」を評価しているのではないということだ.
作り手の背景があって,それを見えてくるからこそ,作品は『芸術』へと昇華される.私はそう思う.
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