シャフト制作、映画を見ているときの予告、あらすじの内容、等々を見ているとこれはこの夏のアニメ映画のなかでかなり上位に来るかな?と思っていた作品。
まぁ、このサイトに来る人は言いたいことはわかると思うが、アニメ好きで声優等にも興味があるこちらの身分ではキャスティングに文句は言ってもいいよね?
マモはいいけどメイン三人のうち二人誰だよ!
作品の出来はキャストだけではないが、瞬間瞬間で得られる情報としては視覚と聴覚であるので、BGMも存在するが、聴覚の大半はキャストの声に依存する。
全体としてはストーリーに注目することは可能だが、そのストーリーを認識するためにも短時間単位の視覚と聴覚は重要である。
だから、消費者側は作画崩壊や棒演技などが目に付くのだ。ストーリーを認識することの疎外となるから。
まぁ、そんなことがわかってかわからずか、それもと単にアニメファンではないところからの視聴者を得ようとした結果か(俳優を起用したときのテレビでの騒ぎ方は異常)
一応公式サイトではプロではない不安定さが欲しいと言い訳をしていたが……?
一点不安要素はあるが、それ以外の事前期待値はかなり高いので楽しみである。
以下は視聴後のまとめ・感想について述べていくのでネタバレ注意。
この作品って20年ほど前にドラマ・実写映画があったんだな。知らなかった。
ドラマ見視聴、原作小説未読で、映画のみの感想とまとめを述べていく。小説を読んだ後にまた別記事更新予定。
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あらすじ
「もしも、あのとき…」「もう一度、時間を戻せたら…」
2017年夏、最高峰のスタッフ・キャストが、未体験の恋の奇跡を打ち上げる。
「もしも、あのとき…」
夏休み、とある海辺の町。花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか?平べったいのか?」で盛り上がるクラスメイト。
そんななか、典道が想いを寄せるなずなは母親の再婚が決まり転校することになった。
「かけおち、しよ」
なずなは典道を誘い、町から逃げ出そうとするのだが、母親に連れ戻されてしまう。
それを見ているだけで助けられなかった典道。
「もしも、あのとき俺が…」
なずなを救えなかった典道はもどかしさからなずなが海で拾った不思議な球を投げつける。
すると、いつのまにか、連れ戻される前まで時間が巻き戻されていた…
何度も繰り返される一日の果てに、なずなと典道がたどり着く運命は?
繰り返す、夏のある一日。
花火が上がるとき、恋の奇跡が起きる―
登場人物
・島田典道 CV.菅田将暉
中学1年生。クラスメイトのなずなに密かに想いを寄せている。が、周囲にはその気持ちを隠している。
・及川なずな CV.広瀬すず
中学一年生。クラスのマドンナ的存在。母親の再婚など複雑な家庭環境に育つ。どこか影があり、思わせぶりな言動で周囲を翻弄する。
・安曇祐介 CV.宮野真守
典道となずなのクラスメイト。幼馴染で親友である典道に、なずなに告白することを宣言する。
スタッフ
原作:岩井俊二(代表作:Love Letter、リップヴァンウィンクルの花嫁)
脚本:大根仁(代表作:モテキ、バクマン。(実写)など)
総監督:新房昭之(代表作:化物語、魔法少女まどか☆マギカなど)
音楽:神前暁(らき☆すた、涼宮ハルヒなどの音楽制作を担当)
アニメーション制作:シャフト(物語シリーズ、まどマギシリーズ、ニセコイなど)
原作
小説『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(作者:大根仁)
小説『少年たちは花火を横から見たかった』(作者:岩井俊二)
音楽
主題歌:『打上花火』
アーティスト:DAOKO×米津玄師
オリジナルサウンドトラック(アーティスト:神前暁)
youtubeにてfullのMV公開中
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」公式Twitter
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作品の見どころ・まとめ
シャフト要素
まぁ、まずはいい点から述べていかないとな。題名にも書いてある通り、【アニオタの本音】を重視している。(まぁ、このサイト見る人って99%アニオタなんじゃね?)
制作シャフトということで気になっているっであろうシャフト要素。なずなが戦場ヶ原さんに似ているということはPV段階で言われており、アニオタとしてはシャフト要素に興味津々であろう。
今回シャフト要素として一番目立っていたのは目の描写である。
この阿良々木君の目の右側下の赤みを帯びた部分。
極端な目のアップが特徴的であるシャフトのこの目をアップした時に赤い部分を描くというものが特徴と思っている(物語シリーズにおいて)
今回の映画では目のアップ描写もふんだんに使われており、この目の内側に赤い部分を描く描写が多かったように思えた。
次にシャフト要素があった部分は、灯台の中の部分である。
男子たちで灯台を上っているときの四角らせん階段の描き方が、文章で表現するのは難しいが、視点としては、手前の壁をなくした状態の建物から内部を見て、内部には階段だけがあるそして全体的に黒を基調としているという感じである。(忍野メメの拠点みたいな感じ?)
このような背景描写と、目の描写はやっぱりシャフトだなと思った。
音楽
まずはBGMのことである。
劇中のBGMを制作した人は神前暁であり、アニメ好きとしてはGod knows…をはじめ、様々な、いわゆる神曲を作ってきた人である。
その音楽が、シャフトの特徴的な絵、そしてストーリー上現れる幻想的な絵にたいへんマッチしており、サウンドトラックは購入しても損はしない!と断言できる雰囲気である。
映画を見るときはシャフト絵とBGMについてみてほしい。
あともう一つは主題歌。
この辺からちょくちょく闇を見せていこうかな?一気に闇を放出してしまってはいけない気がするし。
まぁ、主題歌についてはyoutubeに上がっているからそれを見て。
というかそれだけ見ようぜ。もう。すごくきれいまとまっているから。映像が。
シャフトの絵と、この主題歌が堪能できる!完璧!ストーリーは独自に想像しよう!
声優
さぁ!さぁ!さぁ!問題の声優だよ!
アニオタの本音ということでここを問題視することはみんなわかっていただろう。
この映画をみて気づいたこと。声優ってすごいんだな!
まず、メインで出てくる男たちは宮野真守・梶裕貴・浅沼晋太郎・豊永利行である。
この4人は昨今のアニメでは若手~中堅クラスの男性声優の第一線で活躍している人たちである。
そんな人たちの中に、素人が二人投入…… いや、もう菅田将暉と広瀬すずが可哀想に思えてきたよ。
通常の掛け合いだけでも簡単に比較してしまい、あ、あぁ……といった印象。
公式で、不安定さが欲しいと言っていたが、もし不安定さが欲しいなら周りの男たちも素人にやらせろ。
普通にうまい人にやらせるな。と思った。言ってることが合致していない。不安定さが欲しいってのは嘘でただの宣伝用か、それともなんらかの裏でもあるんでしょ?
そして妥協点が主役二人は菅田将暉・広瀬すずで、残りは有名声優で固めることによりアニオタも釣る。よって俳優ファンとアニメファンどっちも釣ることが可能といった戦略かな?
けど、この戦略ってまともに成立しないと思うだ。
まず、映画を見に行く人は①初動で見に行く。②評判を確認して見に行く。③興味なかったが、人気なので興味がわいて見に行く。
の3通りだと思う。
で、小手先の戦略っていうのは①を増やすことではなく、②を増やすことになるのだと思う。
だから、①は増えていないのだから初動での収益は元々得られる収益と大差なくなる。②は多いが、評判が良くないため、②の人は見に行かない。そして③の人は存在しない。
という状態になってしまう。
だから、下手に小手先の手段はやめた方がいいと思う。
声優って、気づきの演技や、食べるシーンってかなりうまいんだな。素人がやったら「はっ!?」という感じの文章では表されなさそうな気づきの演技が違和感ありあり。
深夜アニメはイベント稼働などで新人声優を起用することがあるとし、闇っぽい感じに言われることが時々あるが、新人声優でも声優であることは変わりなく、特筆して騒ぎ立てるほどの演技はないように思っている。
あと、テレビでゲスト声優について実際の声優にどう思うかと聞くことがあるが、そんなのきいて「邪魔だ消えろ!」と言えるわけないだろ!まるで騒ぎ立ててるのはファンだけで内部は新たな風が入ったほうがいいってのは共通認識、ファンたちわかってないみたいな雰囲気流すな。
もしそれが事実だとしても、消費者はこっちなのだ。
だから今回の映画をみて一アニメオタクから制作陣に対してのキャスティングのおススメを述べておこう。
まぁ、ちゃんとプロの声優で固めろと言いたいが、それが嫌で、俳優、女優を使ってテレビで宣伝バンバン打ちたいというなら、周りも全部素人で固めろ。
俳優女優をギャラの問題で大量起用できないなら、養成所や、新人といったまだ経験が浅い人を起用して、素人との実力差が少ないようにしろ。そうしないと、本当に大変です。
作品設定の解説・紹介
事前のPVやあらすじなどではその1日を何度も繰り返す。タイムリープ作品であるといった印象を受けた。
しかし、それを少し訂正しなければならないので、その訂正と、タイムリープ作品の自分の思うあるべき姿について述べていく。
原作小説やドラマを見ていないので多少不備はあると思われるが、映画ではこういった印象を受けたということである。
if世界について
自分はとんだ勘違いをしていた。これはただのタイムリープ作品ではなかったのだ。
まず、世界は現実世界とif世界が存在するというものであって、同じ世界線で時間軸をリープしているというわけではなかったのだ。
つまり、時間遡行型作品ではなく、世界線移動型作品であったのだ。
そして、その現実世界線とif世界線の違いを確認する手段は打ち上げ花火の形である。
ここが、タイトルの『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という部分に帰着する。
花火を下から見たら丸い現実世界では横から見ても丸い。しかし、if世界線では花火のかたちは横から見た時異なっている。ということである。
と、ここまではいいんだ。タイムリープ作品であり、それがif世界であって、そのif世界の確認手段が花火の形である。
ここまではみんな難なく理解できるはずだ。しかし、この先が理解ができないのだ。
この作品はSF作品である。もうこの概念だけでこれから話す疑問点はすべて解決できる。
ただのif世界線だと思っていたら、その世界線ではなぜか男友達が電車を追いかけて線路を走ってきたリという犯罪行為が行われているし、その先では電車が海を走っていたりするし、最終的には世界の壁?みたいなのが出来てるし……
そう、これはSF作品。なんでもありなのだ。だから電車が海を走っていても何にも気にしてはいけない。はい終わり。
というだけでは映画と同じになってしまい、記事を書く価値がなくなってしまう。でもこれだけは分かってほしいんだ。俺もこれ以上のこと全然わからないんだ。
だから、作品解説ではなく、なぜ、この設定が視聴者が受け入れがたいかということに関して解説していく。
おそらく、制作サイドはタイムリープというSF作品なのだから、その他SF要素を入れたって問題がないと考えているのだろう。
しかし、視聴者はタイムリープ部分をSFと考えているのではなく、タイムリープも現実に存在しており、その現実を見ていると考えているのである。
だから、タイムリープ以外のSF要素(花火のかたちの差異はタイトルにもあることから難なく理解できる)がまったく理解できないのだ。
まぁ、最近で言えばひるね姫も似たようなもので、夢世界と現実世界で夢世界が現実世界に対して影響を及ぼすだけだと思っていたらいろんなSF要素満載で置いてけぼりを食らってしまった。という感じである。
作品自体古いものであるので、唐突なSF要素が大衆ウケしていたのかもしれないが、現在は唐突なSFというものはあまり大衆ウケしないような気がする。
昨今の例を出すと、シンゴジラはゴジラという虚構のほかは現実を描いていた。
このように、今作もタイムリープという虚構部分以外が現実を描けば視聴者が難なく理解できるものであったのではないかと考えられる。
そして、タイムリープというものは同じ時間を何度も繰り返し、その中でどこで前回との違いが存在しているのか、違うルート分岐を選んでどのように世界が変化したのか。ということに視聴者は注目しなければならない。だから、単に消費するよりは頭を使わなければならないのだ。
そんな中で、唐突なSF要素というものが出てきてしまうと、理解が追い付かなくなり、タイムリープも理解しようとする意志がなくなってしまうのだ。
だから、タイムリープに唐突なSF要素というものは相性の悪いものではないか?と感じている。
また、今作はそのような部分はあまり感じられなかったが、タイムリープ作品というものでは自分の使った頭の労力と、作品から得られる情報量とが見合ってない場合もよくある。
どういうことかというと、先も述べた通りタイムリープ作品は通常の作品よりも視聴者が頭を使わなければならない。
しかし、何度も同じ時間を繰り返すので、2時間作品で3,4回繰り返して目的のエンディングを迎えるのと、30分作品の繰り返しなしがスタートからエンドまでの情報量が同じになっているのだ(繰り返し時の葛藤という情報量はプラスされているが)
以上のことから、自分の思うタイムリープ作品のあるべき姿というものはタイムリープ以外の要素はすべて現実に即したもので、情報量が少なくなりすぎないものであるべきだと考える。
情報量としては2時間作品なら通常の1.5~2時間作品並みの情報量があればいいと考える。
そうすれば、通常よりも頭を使って、得られた情報量が満足いくものであれば、作品に対する満足感というものが得られると思うからだ。
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