京アニ作品で作画が超絶進化し、追随を許さなくなった作品。
ストーリーも素晴らしく、年間アニメランキングでは1位にもランクインすることがある作品。
そんな作品である響けユーフォニアムの続編であり外伝であるリズと青い鳥が、シンゴジラ・君の名は・この世界の片隅にといった邦画最強年に公開されながらなおその3作品に引けを取らない話題になった聲の形スタッフによって製作された。
京アニマジパねえ。京アニ内でどんどん作品を進化させていく。
ハルヒやKey作品のアニメ化の頃から今までずっとアニメ業界の最先端を走ってるよなぁ。
そりゃ信者にもなっちゃいますよw
今回はそのリズと青い鳥について書いていこうとおもう。
まずは一言。『百合って、尊い……いや、神だね。』
ユーフォ時代から、吹奏楽アニメだし女の子多いから女の子同士の描写は多くなり百合っぽい描写はままあったが、今回はそれを優に超えてきた。
ユーフォ時代はノーマルの恋愛描写もあるし、百合といわれるものも尊敬からくる優子と香織先輩と、気が置けない関係である久美子と麗奈であった。
久美子と麗奈の関係は尊かった。友情を突き詰めていけばこうなるのだろうと感じさせるものだった。
そして、今回の、みぞれと希美は、神。言葉でまとめることが難しいが神。
その神の領域の百合を拙いながらも書きたいと思う。
・目次
1.あらすじ
2.登場人物
スタッフ
原作
音楽
公式サイト
3.作品の見どころ・まとめ
disjoint→joint
聲の形スタッフとアニメ版との演出の差
高校生だからこその心の機微
どちらがリズでどちらが青い鳥なのか
世紀の百合映画。尊い。神の領域
4.感想
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あらすじ
――ひとりぼっちだった少女のもとに、青い鳥がやってくる――
鎧塚みぞれ 高校3年生 オーボエ担当
傘木希美 高校3年生 フルート担当。
希美と過ごす毎日が幸せなみぞれと、一度退部したが再び戻ってきた希美。
中学時代、ひとりぼっちだったみぞれに希美が声を賭けたときから、
みぞれにとって希美は世界そのものだった。
みぞれはいつかまた希美が自分の前から消えてしまうのではないか、という不安んを拭えずにいた。
そして、二人で出る最後のコンクール。
自由曲「リズと青い鳥」。
童話をもとにつくられたこの曲にはオーボエとフルートが掛け合うソロがあった。
「物語はハッピーエンドがいいよ」
屈託なくそう話す希美と、いつか別れがくることを恐れ続けるみぞれ。
――ずっとずっと、そばにいて――
童話の物語に自分たちを重ねながら、日々を過ごしていく二人。
みぞれがリズで、希美が青い鳥。
でも……。
どこ嚙み合わない歯車は、噛み合う瞬間を求め、まわり続ける。
登場人物
・鎧塚みぞれ CV.種崎敦美
高校3年生。オーボエ担当。
市内の強豪・南中学校吹奏楽部出身でトップクラスの演奏技術を持っている。
希美の存在が全てであり、その他のことに興味を向けることがない。
・傘木希美 CV.東山奈央
高校3年生。フルート担当。
みぞれと同じく南中学校吹奏楽部出身。
1年生のときに一度退部したものの、2年生の夏に復帰した。
高い演奏技術と明るい性格で、後輩たちにも慕われている。
・中川夏紀 CV.藤原鼓乃美
高校3年生。副部長。
ユーフォニアム担当。
高校から吹奏楽を始めた。
中学時代、輪の中心にいる希美にあこがれを持っていた。
・吉川優子 CV.山岡ゆり
高校3年生。部長
トランペット担当。
2年前の部員退部騒動から、みぞれを気にかけている。
・剣崎梨々花 CV.杉浦しおり
高校1年生。オーボエ担当。
オーボエ唯一の先輩であるみぞれとコミュニケーションを取ろうと頑張っている。
・リズ CV.本田望結
童話『リズと青い鳥』の登場人物。
両親を亡くし、湖の近くの家でひとり暮らしている。
ある日、倒れている少女を助け、一緒に暮らすようになる。
・少女 CV.本田望結
童話『リズと青い鳥』の登場人物。
青い髪をした不思議な少女。
湖のほとりで倒れているところをリズに助けられる。
スタッフ
原作:武田綾乃
監督:山田尚子(代表作:聲の形、けいおん!など)
キャラクターデザイン:西尾太志
脚本:吉田玲子(代表作:聲の形、けいおん!など)
音楽:牛尾憲輔(代表作:聲の形など)
アニメーション制作:京都アニメーション(代表作:CLANNADシリーズ、中二病でも恋がしたい!シリーズ、けいおん!シリーズ、たまこまーけっとシリーズ、freeシリーズ、聲の形などなど)
原作
小説『響け!ユーフォニアム』(作者:武田綾乃、レーベル:宝島社文庫)
音楽
主題歌:Songbirds
アーティスト:Homecomings
サウンドトラック
作品の見どころ・まとめ
外伝モノではあるが、単発のオリジナルアニメのような風にも感じるこのリズと青い鳥。
みんなが疑問に思うだろうdisjointの意味から、アニメ版との差。
そして神の領域である百合の尊さまで紹介していこう!
disjoint→joint
見ている人が気になったであろう文言の一つにこの『disjoint』と『joint』があると思う。
まずは真面目に考えてみるが、それぞれの和訳としてそれらしきものに、disjoint=互いに素。joint=共に(joint authorsなどの連語で共著者を意味する)という意味がある。
互いに素とは、ある2数が1以外に共通の約数を持たないこと(⇔最大公約数が1)である。
例をあげると、12と18は1以外にも2や3や6といったといった共通の約数を持つので互いに素ではない。しかし、12と19だと共通の約数は1しか持たないので互いに素である。また、詳しい証明は省くが隣接する2数(整数nとn+1)は互いに素という性質がある(これはここから先の考察に使ってみようってだけだから数学的なことは気にしなくていい)
ということでdisjoint=互いに素であるとして、なぜその英単語が冒頭で現れたのだろうか?
この互いに素はみぞれと希美の関係を表しているような気がする。そして、先ほども述べたように隣接する2数は互いに素である関係ということも重要であると思う。
みぞれと希美はずっと一緒にいて(希美が部活を辞めた時は離れ離れになったが)お互いのことをよく知っているはずの関係、つまり隣接する2数の関係。であるからこそ、お互いに本当の気持ちを隠すこともあり、実際には分かり合えていない部分も存在する。つまり互いに素である関係。ということを表したかったのではないだろうか?
一緒にいて、吹奏楽という共通の約数は持っているが、みぞれのトップクラスの音楽センス・一途さそしてコンクールが来てほしくないという気持ち、希美の友人の多さ・朗らかさなどコミュニケーション能力そしてコンクールが来てほしいという気持ち、共通の約数がないのだ。
この二人の関係を互いに素である関係。なんて言い得て妙なのだ。disjointに互いに素という意味があると知った瞬間にこのことを表しているのではと思い立ち、全身に電流が流れたぞ。なんて脆く儚い関係なんだ。これぞ百合の儚さ、美しさを表している。もうこれから隣接する2数を見たら一緒にいるはずなのに本質的には共通のものがなく脆く儚い百合を想像してしまうじゃないですか。
今までの説明でこの物語に互いに素というキーワードが重要ということはよくわかってくれただろう!
それでは次にjointになったこと。
joint自体に意味がいっぱいあるけど、なかなかいい意味がなく(シャナでもあったけど、joint自体よく分からない……)例文から参考にして共にという訳を当てはめてみた。互いに素ではないという意味でもいいかもしれないが。
物語を通じて、みぞれの葛藤からの成長や、希美の考えていることが明らかになり、飛び立っていく。その後に、みぞれはみぞれで目指す場所を見つけて、希美は希美で目指す場所を見つけ進んでいく。
進むという共通の約数を得たのだ。場所は違えど共に進んでいくと。
隣接する2数の関係ではなくなってしまうが、吹奏楽以外の公約数を持つ関係になっていくという関係に進むと。
依存する百合からの、互いに進みながら成長していく百合へと。あぁ、なんてすばらしいんだ。
このdisjointとjointについて映画内でよくわかりやすい図が与えられていたのでそれも載せておく。
このベン図は、左がdisjoint、右がjointを表している。
吹奏楽以外の共通部分を持たなかった二人が、リズと青い鳥の曲と3年生という立場を通して目指す場所を見つけ、成長し共通点が現れる。二人が混じり合う。
心が、通い合い、成長していく。尊い。
これからベン図を見ても百合を妄想しちゃう身体になったじゃないか!って、ベン図なんか見る機会ないけどw
聲の形スタッフとアニメ版との演出の差
今回のリズと青い鳥は、響けユーフォニアムのスタッフ陣ではなく、邦画大豊作年の2016年の1作である聲の形のスタッフによるものであった。
だから、詳しく調べていなかった人はなんか違うユーフォが始まった!?と思ってしまう人もいたかもしれない。(というか、もしかしてリズと青い鳥がユーフォの外伝だと気付いていない人もいる?いや、もしいたとしてもこのブログにたどり着く人はみんな見た後かw)
そこで、今度はアニメ版との差についてちょっと語ってみようと思う。
まず、ユーフォアニメ版についてはみんなもご存じのような神作画、神演出。
昨今のアニメ業界に蔓延する作画崩壊や、演出の陳腐さなんぞどこの国の話をしているの?という勢いで描かれている。
京アニのクオリティの高さは常に高かったが、2次元アニメとしての作画から別の次元の作画に変わったのがこのユーフォだった気がする。
そして、その神作画が受け継がれ、30分アニメとは到底思えないヴァイオレット・エヴァ―ガーデンへと。超作画を維持しつつ毎話毎話泣かせにくるヴァイオレット・エヴァ―ガーデンがすさまじかった。
そのように、アニメ版ユーフォは現実のものはまるで現実にあるかのように描き(楽器の描き方や学校の描き方)、吹奏楽の臨場感・部活のリアルさを演出していた。
一方で、今回のリズと青い鳥は水彩画チックな描き方、アニメだからの柔らかさを持った作画方法を用いられている。
この作画方法も、さすがの京アニ。映画一本通して素晴らしい描き方だった。
分かりやすく例を2016年で例をあげると、君の名は。のような作画がアニメ版ユーフォの作画方法、聲の形やこの世界の片隅にのような描き方が今回のリズと青い鳥の作画方法であるということだ。
作画は現実のものは現実的に描かなければならないというわけではなく、アニメだから、見せたいものに合うものを描くということが重要で、このリズと青い鳥をユーフォ通りではなく柔らかいタッチにしたのも意図的なものなのだ。(最近は減ってきたが、少し前に現実的なものでなければ作画崩壊と騒ぐ輩がいたので注釈を。)
これでアニメ版とリズと青い鳥の演出の違いは分かってもらえたと思うが、なぜこのような演出にしたのかということを。
それはやはり、今回描きたかったことが吹奏楽ではなく人間の関係性であったからということだろう。
アニメ版ユーフォも人間の関係性はしっかりと描かれているし、演出も正しい。だが、今回は1時間半の映画で描くのは吹奏楽ではなくみぞれと希美の関係と成長で、それはキリッとした絵ではなく、水彩画のような柔らかい絵があっているのだ。
軽快なメロディーのBGMと、優しい絵、それで明らかになっていくみぞれと希美の気持ち。
この演出によって心の揺れ動きが視聴者の心にダイレクトに伝わってくる気がする。
頭で理解することと、心に伝わることって別物で、心にはちょっとした抽象的な絵だったり、ファンタジーっぽさだったり、柔らかさがある方がいい気がするんだ。だからそれを狙っていたのだろうと感じた。
絵の描き方やBGM、演出の仕方で何を伝えたかったのかを考えるのも面白い。
高校生だからこその心の機微
皆さん高校生といえば何を思い浮かべるだろうか?
ヤンキー高校や、農業・商業高校、高専、普通、トップクラスなどいろいろあるだろうが、このユーフォでは普通科の想定でいいと思う。
普通科でもレベルの差はあれどまぁ特に気にしないであれば、まずは進学か就職、進学ならばどこに進学するかで離ればなれになってしまう。
まぁ、一番近いところに進学すれば一緒の進学先になることもあるが、最大の進学先というのも、普通の高校ならば1割~2割というのが常というもの。
だから、ほとんどの可能性において、高校卒業時で離ればなれになってしまうのだ。(自分は高卒時からニートの道を選んでしまったせいで、いばらの人生を歩んでブログしてTwitterしてアニメ見てスプラしての生活だけど……)
今回、リズと青い鳥では、進学についても言及されていた。
みぞれが先生から音大への進学を進められてそのことを聴いた希美がみぞれと同じ音大へと進もうかと決意し、それを知ってみぞれも音大への進学を決意するというはなしになっていた。
しかし、希美は音大への進学をあきらめ、、センターの本を図書館で借りる描写などが描かれている。
このように、共にいた二人が、未来については語らず、二人それぞれの考えを持って行動する様子(みぞれは希美の選択を絶対視していたが)が鮮明に描かれている。
高校生特有の心の機微ってやっぱり、部活動、進学、男女関係っていうのがあると思う。
このユーフォに至っては、特にリズと青い鳥の希美とみぞれに至っては男女関係はないが(作中では後輩がデートしている話は描かれていたが)進学など未来についてと部活動は鮮明に描かれていた。
部活動での失敗や課題。
そして進学先が明確ではない二人の進学先や、先生からの薦めなど。未来に対して不安に思い、この選択こそ人生の選択であると感じてしまうように錯覚されてしまう(高校教師からの進学や就職に対して絶対的な選択であるという圧力)行動が如実に描かれていた。
この、進路に悩む二人が導き出した結論に至る過程がこの映画で描かれている。
互いに思う気持ちと、自分の選択、その二者がひしめき合う二律背反な関係が、この百合と、高校生ならではの悩み、この時代を経験してきたからこそ見た人に刺さる思いがあるのだろう(まだ中高生で経験していない人は、自身の心配をこの映画で昇華させることが出来るのではないだろうか?)
どちらがリズでどちらが青い鳥なのか
映画序盤ではリズはみぞれで、青い鳥が希美であるように描かれていた。というか、みぞれはそのように思っていた。
リズは最後、青い鳥に飛び立たれて行ってしまう。青い鳥は最後に飛び立っていくから、みぞれは勝手に部活を辞めた希美に青い鳥を重ねて、コンクールが終われば、高校卒業すれば飛んで行ってしまうと考えていた。
しかし、新山先生がみぞれに対していったことで、みぞれが青い鳥の気持ちになって見たらどうだっただろうか。
リズから飛び立てと言われた青い鳥。
青い鳥のことを思ってのことなのに青い鳥からしたら悲しいだろう。
今回も、みぞれが音大に進学することは希美は応援しているし、希美が飛びたたさせようともさせているように考えることが出来る。
また、リズは青い鳥以外にもたくさんの動物と仲良くしているところが、友達が多い希美に重なる部分もある。
こう考えると、高く飛び立つ羽を持っているのはみぞれで、それを縛り付けてしまっていたのは希美なのかもしれない。
直接聞いたわけではないから正しいかは分からないが、舞台挨拶か何かで山田監督はどちらがリズでどちらが青い鳥であるかは決まっていないというように話していたという情報があった。
なるほど。と思った。みぞれから見ると、いつも飛び立っていくのは希美だっただろう。でも、希美から見ると、高く飛べる羽をもっているのはみぞれである。
だから、見る人、感じる人、時と場合によってどちらがリズでどちらが青い鳥かは変わるものなのかもしれない。
飛び立たせるものと飛び立っていくもの。対照的な関係であるのに、どちらにもなれてしまう二人。なんか尊いと思わない?
個人的には、リズが希美で青い鳥がみぞれかなって思ってる。
たくさんの動物の中の一匹の青い鳥だけど、リズにとっては大切なもの。でも大切だからこそ縛り付けておくのではなく飛び立ってほしい。青い鳥も高く飛んでいくポテンシャルはあるが、大切なリズのそばにずっといたい。
リズを希美、青い鳥をみぞれで考えれば合点がいく気がする。
世紀の百合映画。尊い。神の領域
互いに素であることの考察、高校生ならではの悩み、絵本・リズと青い鳥について考えてきたが、やっぱ尊い。この尊さはもう神の領域。
一緒にいるのに、共通の約数が全然ない関係、それに対してもがいている二人。なんて美しく儚く脆いんだろう。
部活の卒業や進学が近づき、将来への不安と現在が変わってしまうことに対しての怖さを持った二人。これもなんて美しく儚く脆いんだろう。
互いを思うからこその行動。リズと青い鳥。投影される二人。やはり美しく儚く脆い。
二人の存在自体がもう尊い。
尊さが、神の領域。神がかっている。
百合って、女の子同士でこんなこと……という背徳感もあってこそかなって考えていた自分がいたが、そんなことはない。
背徳感なんて関係なく、そこに一輪の百合の花が咲くんだ。
百合を描いた作品っていくつも見てきたが、なぜか女の子に対して顔を赤らめるキャラがいたり、背徳感を抱きはまっていくといった感じのが多かったが、これは共依存から芽が生まれ、その共依存から成長していこうとするときに百合の花が咲いた作品。
後世に語り継ぐべき百合作品だ。
皆に見てほしい。これぞ百合という愛の形だと。
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